■創立時の状況 (大正11年(1922)) 以下、舵誌(1982年6月号)記事より抜粋する。
1922年(大正11年)
日本ヨット倶楽部創立
京都市立第一商業学校(現在の西京商業)ボート部OB有志が集い組織した。メンバーは、宮崎晋一、上田健治郎、吉本正雄、安田常保、中塚善助、安田貞一朗、長谷川英一の各氏。この年、スカル3艇、キャットリグ艇1隻を横浜の岡本造船所で建造している。
1924年(大正13年)
「ユングフラウ」建造
丸善でヨットに関する本(たぶんカリー博士の帆走理論と戦術集)を取寄せる際に、同時に入手した図面から、イギリス・ノーフォーク型キール・ヨット(3.5t、380ft2)を、大津の桑野造船所で建造し、3泊4日の琵琶湖周航を行う。しかし、その年の8月、浜大津港に係留中、台風のために大破。(「ユングフラウ号修理なりたるも、その後クラブ員気勢揚らず艇は尾花側地先に陸揚げしたまま雨淋霜打数年自然に朽ちて再び使用に耐えずなりぬ」との記録がある)
その後、メンバーが少ないこともあって、しばらく活動が低迷する。 |
■当時の写真 |
ユングフラウ |
長谷川、中塚、安盛の各氏 |
安盛善助氏 大正11年 |
大正14年 安盛善助氏、長谷川英一氏 |
長谷川英一氏 大正15年 |
吉本正雄氏の婚約時代の写真、鞠子夫人と
異人丸を借りて撮影、浜大津から柳ヶ崎に上陸、撮影。
砂浜と畑のみ、我々以外には何も無かったとの記述あり。宮崎晋一氏が同行し撮影したとのこと。
大正14年月10日 |
長谷川英一氏、北尾正雄氏
大正14年夏 |
「K」 通称ゲタ船 |
大正14年 唐崎へセーリング
市田八州男、北尾雅夫、浜口栄次郎 |
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